2017年1月14日土曜日

『「読まなくてもいい本」の読書案内』によるブックガイド

橘玲の『「読まなくてもいい本」の読書案内』を読んだので、感想とメモをまとめておく。

この本、タイトルは『「読まなくてもいい本」の読書案内』だが、実際には「読まなくていい本」はほとんど紹介されていない。紹介されているのは、当たり前の話かもしれないが読むべき本だ。他の読書案内本と異なっているのは、”こういう本は読まなくて良い”と、ばっさり切り捨てているところ。読むべきか・読まなくてもよいかの基準は、20世紀後半に爆発的に進歩した科学研究の成果に置いている。著者は、この時期に起きた科学研究の大幅な進歩を”知のビッグバン”、”知のパラダイム転換”と呼び、これ以前に書かれた本は(とりあえず)読む必要がないと言い切る。古いパラダイムで書かれた本は捨てて、新しいパラダイムで書かれた本を読もうという話だ。ちょっと乱暴な分け方ではあるが、1980年代に大学生だった私には案外納得できるものだった。学生時代に最先端の科学パラダイムとして友人たちと議論したようなものが、いくつもこの本には登場する。

読書案内ではあるものの、この本自体がそれぞれの理論の解説書にもなっているので、これ1冊読むだけで一通りの理解が得られる。それぞれの理論が生まれてきた背景や、理論を作り出した人物、過去の理論がどのように組み合わさって新しい理論が生まれたか、なども解説されているため、たいへんわかりやすいし、読んでいておもしろかった。とりあえずこれ1冊よんでおいて、さらに深掘りしたいテーマについては、紹介されている書籍をあたれば十分だろう。

では、以下メモ。

1. 複雑系

ポストモダンはデタラメだったねという話から複雑系へ。
マンデルブロによる正規分布とは異なるべき分布の研究の話。リーマンショックが起きたのは、市場が正規分布ではなくべき分布になるから。
マンデルブロが発見した「世界の根本法則」とは、複雑さにも秩序があるということ。
自然界の根本法則はフラクタル。フラクタルとは、自分を複製する自己相似によって自己組織化し、複雑さを生み出すこと。そこには必ずべき分布がある。
マンデルブロはフラクタルを数式ではなくコンピュータグラフィックスで表現した。フラクタル幾何学、マンデルブロ集合。
自分を自分に取り込むことをフィードバックという。単純な規則から複雑な組織が生まれるのはフィードバックを繰り返すから。
マンデルブロはフラクタルが自然界だけではなく人間社会をも支配していると考えた。
フィードバックによって自己組織化するネットワークは複雑系と呼ばれる。
複雑系は自転車の車輪のようなハブ&スポークの構造になっている。
ハブ&スポーク型のネットワークの特徴は、離れているように見えても実際は近いということ。これが複雑系のスモールワールド。
フィードバック効果によってハブができれば、どんな組織でも同じ構造になる。
世界はネットワークで、それを動かしているのはハブ。
マンデルブロは複雑系という言葉は使わず、ラフネス(複雑さ)という言葉を使う。
カオスとフラクタルは同じものだが、科学者の功績争いの結果別のものになってしまっている。

2. 進化論

進化とは、遺伝的変異と自然選択で繁殖度(包括血縁度)を上げることによって、生物が環境に適応するよう多様化する過程のこと。
進化論はものすごく単純な理論、だからこそ強力。
自然選択の原動力は、できるだけ多く血縁(自分と同じDNAを持つもの)をつくること。これを包括適応度という。
生き物は包括適応度を最大化するように進化する。
遺伝子は、自分と同じ遺伝子をできるだけ多く複製するように進化する。
すべての生き物は、遺伝子を後世に引き継がせるための遺伝子の乗り物。利己的な遺伝子
生き物は「遺伝子のコピーの最大化」というゲームを行うプログラム。
ゲーム理論より、進化は遺伝子の複製を最大化する合理的な戦略だけを選択していく。これを進化的に安定な戦略(ESS/Evolutionarily Stable Strategy)と呼ぶ。
遺伝学と結びつくことで、生き物の生態を数学的に記述できるようになった。社会生物学、理論生物学
さらにゲーム理論を拡張し、経済学を導入した。進化生物学
経済学における効用はお金、生物学の効用は遺伝子の数。
生き物の戦略は遺伝子という効用の最大化。したがって、生態系は投資や市場取引として経済学的に説明できる。
社会生物学がその対象をヒトまで拡大した。→社会問題となる。
心や感情も進化によって生まれた。進化心理学
進化心理学は進化生物学の直径で、進化論の心への拡張。
感情も進化の過程でつくられ、遺伝的にプログラミングされている。
ゲイの乱交とレズビアンの一婦一婦制は、男性と女性の進化論的な戦略の違いが純化した結果。
進化論は行動経済学やビッグデータ、脳科学と結びついて強力なマーケティング技術を生み出している。

3. ゲーム理論

ゲーム理論は、自然界や人間界で起こるさまざまな相互作用(対立と協調)を数学的なゲームとして説明する。
ゲーム理論では、現在の戦略をどちらも変更する余地がない状態を均衡という。
ゲーム理論でのシグナリングとは、相手に自分の意図を言葉ではなくシグナルで伝えること。
ゲーム理論はフォン・ノイマンがポーカーを数学的に分析しようとして考えだした。
ゲーム理論でのコミットメントとは、相手に「どんな犠牲を払っても実行する」と信じさせること。
ゲーム理論では、利害関係のある相手と取引をする状況を戦略的環境とし、そのなかで最適な戦略はなにかを考える。これが均衡。
均衡では、自分も相手も現状より多くを獲得できないという意味でお互いに満足している。
均衡は平等とは限らない。不公平なことのほうが多い。
均衡がみんなにとって最適になるとは限らない。
どんなゲームにも必ず1つは均衡があるし、複数あることもある。
ナッシュ均衡とは、他のプレイヤーの戦略を所与とした場合、どのプレイヤーも自分の戦略を変更することによってより高い利益を得ることができない戦略の組み合わせのこと。
ゲーム理論はポーカーの数学的分析を経済学に応用しようとしてはじまった。
ゲーム理論は、戦争の戦略や生き物の生態の説明に圧倒的な力をみせた。
ゲームの必勝法は、自分の情報を相手に与えず、相手の情報だけを手に入れること。
進化心理学を取り入れることで、行動経済学がうまれた。
ファスト思考=直感、スロー思考=理性
行動経済学は人間の不合理についての理論。
人間は、数学的合理性と進化論的合理性を使い分けている。
進化論的には合理的だが数学的には不合理な行動を取る人間をモデルにつくられたのが、行動ゲーム理論。従来のゲーム理論を拡張したもの。
ゲーム理論が強力なのは、この世界がゲームの集合体だから。
統計学の最大の特徴は、理論がなくても正しい答えを導けるところ。
統計データの解析からまず正解を発見し、なぜそうなるのかはあとから考えればよい。
近代経済学は、行動ゲーム理論と統計学(ビッグデータ)によって書き換えられつつある。

4. 脳科学

デカルトは、主観(意識の還元)と客観(脳の還元)の対立という近代哲学最大の難問にたどり着く。これは「心身二元論」「心脳問題」と呼ばれるもので、現代に至るまで解決されていない。
近代科学の最大の武器は還元主義。
ニューロンの仕組みは解明されている。そこで生じるのは物理現象。この物理現象が大量に生じると、なぜ意識が生まれるのか? 心脳問題の最高の難問。
クオリアとは生の実感のこと。心脳問題は、デジタルな情報交換からなぜクオリアが生じるのか、と言い換えることができる。
ヒトの判断には理性よりも感情が圧倒的に大きな影響力を持つ。
心というのは、視覚・聴覚・触覚などによって外界を認識する機能のことではない。知覚にクオリアが伴ってはじめてヒトは生きていると意識することができる。
意識が成立するには、データの量だけではなく、それがどのように統合されているかが重要。
コンピュータが意識を持たないのは、プログラムが逐次処理されていて全体が統合されていないから。
鳥や哺乳類は、脳内のデータ量はわずかでもネットワークが統合されているため、その複雑さに応じて意識を有している。
情報統合理論では、意識はヒトだけが特権的に持っているのではなく、ネットワークに固有の性質。
トラウマ理論はデタラメ。
フロイトの理論の大半はデタラメ。
矛盾する認知に直面した状態を認知的不協和と呼ぶ。この状態になると自意識は自己正当化を行う。自己正当化は無意識下で行われるので、自分の嘘に気がつくことはない。
進化心理学では、心はシミュレーション・マシンと考える。
シミュレーションとは、コンピュータのif...then...プログラムのこと。
ヒトは生きている限り、if...then...の思考をひたすら繰り返している。
瞬間的な判断はすべて無意識が決めていて、自由意志などというものはない。
脳のネットワークは単純な規則から自己組織化する複雑系のスモールワールドで、その複雑性から意識が立ち上がってくる。
ニューロンから意識に至る過程にも、個人から市場や社会に至る過程にも、あらゆる場面で進化や遺伝の力が働いている。
遺伝学、脳科学、進化心理学、行動ゲーム理論、行動経済学、統計学、ビッグデータ、複雑系などの新しい知は、進化論を土台として1つに融合し、ニューロンから意識、個人から社会・経済へと至るすべての領域で巨大な知のパラダイム転換を引き起こしている。

5. 功利主義

トレードオフがある以上すべての人が満足することはありえないから今より状況が改善できればそれでいい、こういう考え方を功利主義という。
哲学者ジェレミ・ベンサムが言い出したことで、最大多数の最大幸福の原理として知られている。
功利主義の特徴は幸福が計算可能だと考えること。この数えられる幸福が効用で、効用を最大化するのが功利主義。
功利主義と経済学とは一体のもの。
二人でパイを分けるときに最大多数の最大幸福を実現するには、1.パイを大きくする、2.パイを全員が満足するように分ける、3.ゲーム理論を使って最適なルールを決めれば良い、という3つの原則が導き出せる。こういう考えを設計主義という。
功利主義にも何らかの正義の基準が必要。
正義は娯楽である。ヒトは正義の行使を娯楽=快楽と感じるように進化してきた。
正義とは、進化の過程のなかで直感的に正しいと感じるようになったもののこと。
ヒトには自由・平等・共同体の正義感覚がある。ここから3つの政治的立場が生まれる。1.自由を求める自由主義、2.平等を求める平等主義、3.共同体を尊重する共同体主義。
自由主義・平等主義・共同体主義の3つのほかにもう1つ存在する政治思想が功利主義。
功利主義の大きな特徴は、他の3つの主義とは異なって進化論的な基礎付けを持たないこと。
政治思想を理解する出発点は、すべての理想を同時に実現することはできないというトレードオフ。
自由を追求すると必然的に格差は大きくなる。それを平等にしようとすれば国家が徴税などの暴力によって市場に介入するしかない。自由を犠牲にしない平等はありえない。
正義についての政治的対立とは、みんなの間で幸福と不幸をどのように分配するのかという問題のこと。
ロールズの格差原理:社会的・経済的な不平等が許容できるのは、もっとも不遇な立場の人の利益が最大化されているときだけだ。
センの人間の安全保障:すべての人に最低限の機能が分け与えられ、潜在能力を発揮できるようになること。
センは効用ではなく機能と潜在能力を基準にして公平ではなく衡平な社会をつくるべきだという。
衡平とは、ひとびとの機能や潜在能力が等しくなり、釣り合いのとれた状況のこと。
社会をより良いものに設計しようとすることをマーケットデザインという。
パレート効率性:誰かの効用を犠牲にしなければ他の誰かの効用を高めることができない状態。
いいかえると、誰の不利益にもならずに今より幸福になれるなら、それは皆にとってもいいことだ。
個人合理性とは、抜け駆けができないという基準のこと。
対戦略性とは、正直に伝えることが最もいい結果を生むような分配方法になっていること。
マーケットデザインでは、パレート効率性と個人合理性の両方の基準をクリアした分配方法をコアと呼ぶ。
マーケットデザインとは、市場の機能が使えないときにゲームを上手にデザインすることで市場と同じようなコアの分配を成立させる技術のこと。
社会選択理論における不可能性定理:どのような分配方法でも対戦略性を満たしたコアを実現することはできない。
最適な分配を考えるときには、パレート効率性・個人合理性・対戦略性のどれか1つをあきらめなければならない。
マーケットデザインを使えば、市場でうまく扱えないものでも、市場取引と同様の効率的な分配ができる。
マーケットデザインを用いて法律をつくろうというのが世界の主流になっている。
個人の自由な選択を認めつつ、社会全体の効用を最大化するよう制度を設計すべき。
ナッジ:選択肢を奪ったりルールで禁止するのではなく、仕組み(デザイン)を変えることでひとびとをより良い選択肢に誘導していくこと。
Nudge:(ひじなどで)そっと相手を押す。
ナッジはパターナリズム、国家が生き方を教えてやるという上から目線。
これはバカの自由が最大限配慮されているので、リバタリアン・パターナリズム(自由主義者のおせっかい)と呼ばれる。
アーキテクチャは無意識の管理を目標とする、刑務所の一望監視装置。
アーキテクチャによる統治とは、テクノロジーを用いて物理的にひとびとの行動を制約することで紛争そのものをなくしてしまうこと。
自由主義(リバタリアン)・平等主義(リベラル)・共同体主義(コミュニタリアン)の全員を納得させることができるのは、そのすべてを包括する新しい功利主義しかない。
新しい功利主義は、話し合いよりもテクノロジーの活用を選択する。
シリコンバレーに生息する科学とテクノロジーの力で世界を変えられると信じる人達のことをサイバー・リバタリアンと呼ぶ。
サイバー・リバタリアンが思い描くテクノロジーのユートピアが唯一の希望?

2017年1月8日日曜日

ドレの旧約聖書・新約聖書

幼いころ通っていた幼稚園がキリスト教系で、月曜日の朝には礼拝堂に集まって神父様のお話を聞いたり、先生が紙芝居で見せてくれるキリスト教のお話なんぞを聞いて育ったせいか、昔からキリスト教には興味があった。一度きちんと聖書を読んでおきたいと思って何度か挑戦したのだが、今までは毎回挫折して途中で放り出してしまっていた。聖書の翻訳の言葉遣いが古くてわかりにくいし、どうにもつまらなくて読んでいられなかったのだが、今回、ようやく最後まで読み通せる聖書に出会ったので紹介しておきたい。それが、『ドレの旧約聖書』『ドレの新約聖書』だ。


楽園追放

この聖書の最大の特徴は、タイトルに「ドレの」とついているようにギュスターヴ・ドレのイラスト(版画)が前編にわたって掲載されていることだ。このイラスト(版画)が実にすばらしい! 生き生きとして、荘厳で、いつまでも眺めていたくなる。このイラストを見るだけでも、十分価値があると思う。文章は平易な現代語で、とても読みやすい。昔読んだ聖書で苦労したのがウソのようだ。


バベルの塔

で、読んだ感想なのだが、旧約聖書というのはユダヤ人の歴史を神話化してまとめたものだということがわかった。最初に出てくる創世記の前半に、天地創造・エデンの園・ノアの箱舟・バベルの塔などの有名な神話がまとまっていて、あとはほぼすべて中東の地におけるユダヤ人の戦乱と建国の歴史だ。もちろん神様は出てくるのだけど、歴史的な事実にあとから神様の話を突っ込んだんだろうなぁということが容易に想像できる。


キリスト生誕

新約聖書は、キリストの生誕から死、そしてその後の弟子たちによる布教活動をまとめたものだ。最後に出てくる黙示録が、ちょっと異質な感じ。キリストの教えは、逸話の中の例え話として出てくるものが多い。旧約聖書では神様自らが、あーしろこーしろ、この教えを守れ、と直接告げていたのだが、新約聖書ではキリスト(あるいは弟子)が語る例え話から教えを悟らせる(人によって解釈が変わる可能性がある)という形に変わっているのが興味深い。


最後の晩餐

旧約聖書というのはユダヤ教の聖書でもある。「旧約」というのは新約聖書を持つキリスト教徒だけの呼び方で、ユダヤ教徒にとっては単に聖書ということだ。旧約聖書に出てくる神は、あくまでもユダヤ人の神であって、他の民族の神ではない。なにせユダヤ人に土地を与えるために、そこに住んでいる他民族を殺し尽くし、財産を奪えとユダヤ人に命じたりするのだから、他の民族にとっては神どころではない迷惑な存在だ。ユダヤ人が旧約聖書を信じるのはわかる。なにせ、彼らのための神なのだから。わからないのは、ユダヤ人ではないキリスト教徒が旧約聖書を信じているということだ。旧約聖書を信じるなら、ユダヤ人以外の民族はユダヤ人に殺されるか、支配されるしか道がない。なぜこんな神をユダヤ人ではないキリスト教徒は受け入れられるのだろう?


十字架のキリスト

新約聖書を読めばこの疑問が解けるのではないかと思っていたのだが、なんとも納得できない気分だ。一応、キリストの死後ペトロという弟子に神が啓示を与えて、他の民族を受け入れるようになったという逸話はある。また、ユダヤ人の信徒の一部が他民族を受け入れることを咎め、これを弟子が説得する話もある。だが、それだけだ。これだけの話で、世界中のキリスト教徒が旧約聖書を読んで”神は偉大だ”と感じるようになるというのは、どうにも理解しがたい。まだほかに私が読み落としている何かがあるのだろうか?


ヨハネの黙示録

人の歴史として読み解くのであれば、ローマ帝国支配下にあったユダヤ人社会の権力者たちが保身のためにキリストを殺害し、さらに弟子たちにも弾圧を加えた。この弾圧から逃れ、キリストの教え・教会を維持・拡大するために、ユダヤ人以外の民族への布教が必要不可欠になったということだろう。新約聖書を読むかぎりでは、キリストの教えに選民的なものはないので、キリストの教えを伝えているだけなら何も問題はなかったはずだ。もし可能なら、当時どのようにキリスト教の布教をしていたのか、ぜひ知りたいところだ。また、現代の教会で旧約聖書に出てくる選民的な話をどのように信者に伝えているのかも、一度聞いてみたい。

私自身は、神や宗教というのは人間が創ったものだと思っている。無神論者というほど強いものではないが、少なくとも人間が創った宗教に出てくるような神は存在しないと考えている。
ここで述べてきたのは、そんな人間が聖書を読んだ感想だ。もしもキリスト教を信じる方で、この文章を読んで不愉快な思いをされた方がいたなら、お詫びをしておきたい。

さて、このドレのシリーズにはあと2冊、『ドレの失楽園』『ドレの神曲』がある。どちらもすでに購入済みなので、読むのが楽しみだ。まずは失楽園かな。

あと、ギュスターヴ・ドレのイラスト(版画)が掲載されている本のアーカイブがProject Gutenbergにあるので、リンクを張っておく。一見の価値があると思う。

Books by Doré, Gustave

2016年12月26日月曜日

"ひとり出版社"という働き方

『"ひとり出版社"という働き方』という本を読んだので、少しばかり感想を。

今から30年ほど昔、私が駆け出しの編集者だった頃、当時勤めていた編集プロダクションの先輩から「渡り歩いた出版社の数が一桁のうちは半人前」とよく言われた。当時は今のように転職が一般的ではなく、会社を変わるというのはよほどのことがなければ行わないのが普通だった。しかしどういうわけか編集者だけは、当たり前のようにコロコロ会社を変わっていた。若造だった私にはこれが不思議でならず、先輩編集者になぜそんなに会社を変わるのかと訪ねたことがある。その際、先輩編集者からこんな話を聞かされた。

「いいかい嘉平くん、編集者は自分が作りたい本を作るために会社に勤めているんだよ。自分が作りたい本が作れなくなったら、そんな会社に要はないんだ。だから、そうなったら自分が作りたい本が作れる会社を探して移るんだよ。そうやって、編集者は会社を渡っていくのさ。そうしているうちに、結局人が作った会社に勤めていたんじゃ自分が作りたい本は作れないことに気づくんだな。そうすると、編集者は自分で出版社を作るんだよ。日本の出版社のほとんどは社員が10人もいない零細企業だ。父ちゃん、母ちゃん、爺ちゃんでやっている三ちゃん出版社なんてのも山ほどある。それは、そういう理由だよ。嘉平くんも行き着くところまで行けばわかるさ。」

残念ながら私はまだ行き着く所まで行き着いていないけれども、この先輩編集者の言ったことが今はとてもよく理解できる。
今回読んだ『"ひとり出版社"という働き方』という本には、このように行き着いちゃった編集者が作った出版社と、出版とはまったく無関係に生きてきたのになぜか出版社を作ってしまった人の両方が登場する。どちらにも共通するのは、自分が作りたい本を作るために出版社を立ち上げたという点だ。それぞれに、出版に対する考え方も、やり方も、作る本も、すべてが違っているけれど、自分が作りたい本、信じる本を作って、なんとか会社を維持している。経済的には厳しいけれども、ひとりだからこそなんとかなるという世界がそこにはある。

いつのまにやら年をとり、私もあと4年もすればドワンゴを定年退職することになる。その後、どうやって生きていくべきなのか? 編集者として生きてきた人間にとって、ひとり出版社という生き方はとても魅力的だ。だが、前述の先輩編集者の話にはこんな続きがある。

「そうやって編集者は出版社を作るんだけどさ、だいたいすぐに潰れちゃうんだよ。で、しょうがないからまたどこかの出版社に潜り込むのさ。編集者っていうのは、そうやって生きていくんだよ。」

残念ながら定年後に作ったひとり出版社が潰れてしまったら、もう潜り込む会社はないだろう。我ながらつらい話だなぁ。

2016年12月3日土曜日

フランクフルト・ブックフェア2016

昨年(フランクフルト・ブックフェア2015)に続き今年もフランクフルト・ブックフェアに行ってきたので、簡単にレポートをまとめておきたい(すでに1ヶ月以上たってるけど)。


フランクフルト・ブックフェア会場入口

フランクフルト・ブックフェアは世界最大のブックフェアなわけだが、昨年その規模を大きく縮小して驚かされた。今年はどうなることかと、ちょっとドキドキしながら会場へ向かったが、展示スペース自体は昨年と同規模で特に縮小などはなかった。ただ、来場者数が明らかに減っているように感じた。初日の午前中などは展示会場がガラガラで不安になるくらいだったし、最終日直前の土曜日の午後にはブースを畳んでしまう出展社が目立ち、人もまばらな感じだった。私自身は実際に顔を合わせて商談・情報共有を行う機会は貴重だと思うのだけど、インターネットで連絡が取れるのだから必要ないと考える人や会社が増えているのだろうなぁ。

では、今年もいくつか出版社のブースを紹介していこう。


Wiley

Wileyは老舗の大出版社の1つ。相変わらずブースも大きい。このままがんばってほしい!


O'Reilly

安定のO'Reilly。いつもどおりのブース。


Pearson

Pearsonも昨年同様のブース。老舗だがずいぶんこじんまりとしてしまって寂しい限り。


Google Play

出版社以外にネット企業も出展している。これは、Google Playのブース。


Packt

IT系でもっとも野心的な出版社だと私が感じているPackt。ブースは質素だがやることは派手だ。オンデマンド印刷と電子書籍だけに絞って在庫リスクを一掃し、刊行点数を増やせば増やすだけ売上・利益が増えるという戦略を着々と進めている。数年後には1年に数千タイトルを刊行するつもりだとか!


No Starch

私の大好きなNo Starchのブース。こちらも安定していつもどおり。No Starchの創業社長であるポロックと話をすると幸せな気分になる。彼もITや技術が大好きで、自分が信じる本を作り続けている。彼のほうでもKaheiはわかってくれていると思っているようで、版権代理店の方によると私とのミーティングは他のミーティングに比べてやたらとポロックの話が長くなるのだそうだ。今回も約束の時間をすぎてもポロックの話が終わらず、やむなくもう時間だからといってミーティングを終わらせた。帰りがけにはTシャツとチョコレートまでお土産にくれた。ありがとう、ポロック!


Discover 21

日本の出版社ディスカヴァー・トゥエンティワンがブースを出していた。ちょっとびっくり。この会社は取次を通さず書店と直取引をしていたり、電子書籍にも初期から積極的に取り組んだり、過去には小飼弾さんをアドバイザーにしてフランクフルト・ブックフェアに乗り込んだりと、すごくユニークな出版社だ。ちょっと気になる存在。


MIT Press

マサチューセッツ工科大学(MIT)付属の出版社のブース。残念ながらコンピュータサイエンスの担当者がフランクフルト・ブックフェアに来ないため、ミーティングできず。


Elsevier

学術系出版社の老舗。ブースも大きい。

Taylor & Francis

こちらも学術系の出版社。CRC Pressというレーベルでコンピュータサイエンスの書籍を出している。


Cambridge University Press

ケンブリッジ大学付属の出版社。やはり担当者がこないためミーティングできず。


McGraw-Hill

こちらも老舗の大出版社だが昨年はブースを設けず、今年は一応ブースは出していた。がんばってほしいなぁ。


中国のブース

中国の出版社はどこも大きなブースを出していて勢いを感じる。数も多い。


日本のブース

日本はいつもどおり、こじんまりと。


レイマー広場

今回のフランクフルトは毎日小雨が降っているような状態で、あまり観光らしいことはしなかったが、一応レイマー広場には行ってきた。ただ、あまりにも寒かったのでビールは飲まなかった(笑)。


大聖堂のパイプオルガン

レイマー広場からいつものように歩いて大聖堂に入ったところ、偶然パイプオルガンの演奏が行われていてびっくり。ミサの練習だったのか、演奏者一人でもくもくと演奏していく。2時間近くも生のパイプオルガンの演奏を聞けるなんて、夢のようだった。素晴らしかった。

来年もフランクフルト・ブックフェアにはぜひ参加したいと思っている。これ以上縮小しないことを切に願っている。

2016年4月17日日曜日

15世紀の印刷革命から考える21世紀の出版

先日TechLION vol.25に登壇して「15世紀の印刷革命から考える21世紀の出版」という大仰なタイトルで話をしてきたので、その時の動画・スライド・発表用のメモをまとめておく。

まずは、YouTubeにあがっているプレゼンの動画。私の発表は、29:30くらいから。

次がスライド。ドワンゴのサービスであるニコナレにアップしてある。

最後に当日参照していた発表用のメモ。

■前置き
まず、印刷革命に関わる歴史はかなり複雑で、単純なものではない。さらに、資料が乏しく、よくわからないことも多い。文献によって意見がわかれているものもある。このため、今回お話するのは、あくまでも鈴木嘉平の視点から見た歴史の話でしかない。鈴木嘉平の主観で、枝葉を切り落とし、話を単純なストーリーにしているので、興味を持った方は自分で調べて欲しい。
また、今回はヨーロッパの本の歴史だけを取り上げるので、中国・韓国・日本などの話は無視する。印刷・出版の発展の仕方が違うので、同時に語るのは無理。

■簡単な本の歴史
紀元前3000年頃からエジプトでパピルスが使われるようになる。パピルスは葦に似た植物で作られたもので、いわゆる紙とは違うもの。折りたたみにくく、巻物として用いた。これらは、ギリシア・ローマでも用いられた。
2世紀から4世紀にかけて、冊子の形の本が作られるようになる。冊子には羊皮紙が用いられた。羊皮紙は、子牛や羊の革をなめして伸ばしたもので、光沢があり丈夫だった。羊皮紙は、中世まで広く使われた。
7世紀から15世紀にかけて、写本が作られた。
15世紀半ばに活版印刷技術が開発され、活版印刷本が作られるようになる。初期活版印刷本をインキュナブラと呼ぶ。
活版印刷は、15世紀末までにヨーロッパ中に広まり、以後500年に渡って栄えた。

■パピルスの巻物
パピルスに書かれた死者の書(エジプト)
パピルスの巻物を読む女性

■写本
豪華な装丁
文字も絵もすべて手書き

■写本の作成
写字生が書見台の見本を見ながら、一文字ずつ羽ペンで羊皮紙に書き写していく。間違えたときは、左手に持ったナイフでインクをこそげ落とした。苦行とも言うべき作業で、1冊の本を写すのに数ヶ月から数年を要した。写字生の多くは、修道院の修道士であった。

■写本の特徴
すべてが手作りで、文字は写字生が写し、飾り文字や彩色画は専門の画家が1ページごとに描いた。革を用いた装丁も、専門の職人が彫り物や箔押しなどをして豪華に仕上げた。
完成した写本の多くは判型が大きく、重さが20Kgを越えるものもあった。
1冊の写本の制作には数ヶ月から数年を要し、値段は現代の金額で数千万円もした。
写本を注文し、所有できたのは、教会・王侯貴族・大学などで、権威の象徴でもあった。
写本はすべて1品ものだった。
写本は、書見台に載せて読むものだった。神父が教会で説教を行う際には、書見台に聖書を載せ、信徒に向かってこれを読んで聞かせた。盗難を防ぐために写本は普段は鍵のかかる図書室に保管され、書見台に載せて説教を行う場合には鎖で書見台につないでおくこともあった。

■活版印刷の発明
1450年ごろにドイツのマインツでヨハン・グーテンベルクが活版印刷技術を発明した。
1454年に四十二行聖書を完成させる。最終的に180部を刊行したとされる。活版印刷を使ったわりには部数が少ない。写本同様の飾り文字・彩色画・豪華な装丁などを手作りで施していたためと思われる。
四十二行聖書は最初の活版印刷本ではない。それ以前にもグーテンベルクは活版印刷本を作っていた。今回はこれらの本については取り上げない。

■グーテンベルクの印刷機
テーブルの上に載せられた活字にインクを塗り、紙を載せ、プレス機で圧力をかけて印刷する。印刷機の元になったのは、ワインを作る際に葡萄を絞るのに使われたプレス機と言われている。

■四十二行聖書
上下2巻からなり、総ページ数は1200ページを越える。重さは1冊が7.5Kgもある。美しい彩色画・飾り文字が入れられ、装丁も豪華なもの。

■インキュナブラ
グーテンベルクの四十二行聖書以降1500年までに制作された活版印刷本のことをインキュナブラと呼ぶ。インキュナブラとはラテン語でゆりかごを意味する。
この時期の活版印刷本は、写本と見分けがつかないくらい豪華な彩色・装丁が施されていた。

■写本と四十二行聖書の比較
左が写本、右が活版印刷による四十二行聖書。見分けがつかない。
この時期、活版印刷本は写本に憧れていると言われた。

■アルドゥス・マヌティウス
アルダスとも言われる。グーテンベルクから約50年後に、アルドゥスは活版印刷本を刷新する。商業印刷の父とも呼ばれる。
1453年にトルコがコンスタンティノープルを占領し、ギリシア人学者の多くがヴェネチアに亡命する。アルドゥスは元学者で、ヴェネチアに印刷所を設け、亡命ギリシア人と協力してアリストテレスをはじめギリシア語の本を数多く出版した。

■アルドゥスの発明
本当にアルドゥスが発明したのかわからないが、そう言われているものを列挙した。
文庫本・ペーパーバックの元祖になったと言われる小型本を作った。
初期の活版印刷の活字は写字生の書いた文字の書体をまねたものだったが、活版印刷に相応しい繊細なイタリック体を生み出した。イタリック体を用いた本は、ヨーロッパ中で好評を博した。
10万部を越えるベストセラーを生み出した。
句読点を使い始め、ピリオドとコンマの父とも呼ばれた。
ページ番号を使い始めた。これによって、目次・索引などの作成が可能になった。

■印刷革命
書物の量産化によって、本を調べるために放浪の学徒となる必要はなくなった。かつての学者が一生を旅に費やしてようやく読むことができた書物を自分の書斎で数ヶ月の間に読むことが可能となった。
印刷の正確な複写能力は、算術・幾何・音楽・天文学等に多くの変化をもたらした。写本は不正確だった。
印刷術は、版を重ねることで絶えず書物を改良改訂することを可能にした。写本は写字生によって写される際に誤記が起こる可能性が高く、写し取られるたびに内容が劣化していった。
活版印刷は、西欧文明史における知的生活様式に最も急進的な変化をもたらした。その影響は人間生活のあらゆる部門におよんだ。
活版印刷が発明されたことにより、科学・文化・芸術が急速に発展し、ルネッサンスが加速され、宗教改革が起こった。この現象を印刷革命と呼ぶ。

■今何が起きているか
話を現代に移す。20世紀から21世紀にかけて、私達が生きている時代に何が起こったのか。
コンピュータが発明され、コンピュータを用いたワードプロセッシングやハイパーテキストなどの構想が生まれた。
パーソナルコンピュータが発売され、個人の知的生産に変化が起こった。
グラフィックユーザインターフェースを備えたパソコンとDTPソフトウェアの登場により、出版が身近になり、同人誌などを手作りできるようになった。
マイクロソフトが提唱したマルチメディアは、CD-ROMに文章・画像・動画・音楽をデータとして収め、これらをハイパーリンクで繋いだもの。文章中の人の名前をクリックするとその人のプロフィールが表示されたり、曲の名前をクリックするとその曲が流れたりするというものだった。商業的には大失敗。アスキーをはじめ多くの出版社が大赤字をだした。
マルチメディアの商業的失敗がトラウマになって、後の電子書籍ブームの際には多くの出版社が参入に二の足を踏んだ。
インターネットが一般に開放され、Webが生まれ、ブログが登場して、紙の本以外の出版が可能になった。ただし、出版関係者の多くは、Webを出版とは認めなかった。
AmazonのKindleが日本でも購入可能になり、EPUBが登場して、電子書籍が普及し始めた。

■2016年の電子書籍
現在はデジタルインキュナブラの時代だと思われる。デジタルインキュナブラとは私の造語。今の電子書籍は揺籃期のもので、完成には程遠いもの。
初期活版印刷本が写本に憧れていたのと同様、今の電子書籍は紙の本に憧れている。
新しい技術が生まれても、人はすぐには新しいものを作り出せない。今存在しないものを考えだすのはとてもむずかしい。そのため、人は新しい技術を用いて古いものの模倣品を作り出す。今の電子書籍はその段階。
価値観の変革には時間が必要。

■21世紀の本とは?
紙の本の価値観を捨て、新しい価値観に基づく本(電子書籍)を作り出す必要がある。
活版印刷の技術を活かした本を作り出すためには、写本が持っていた豪華な装丁・美しい彩色画・飾り文字などを捨てる必要があった。王侯貴族や教会などの権威の象徴でもあった写本にとって、豪華な装丁や彩色画・飾り文字は必要不可欠のものだったが、活版印刷を用いて大量生産を可能にするためには、過剰な装飾であり、不要なものだった。
写本の模倣品からアルドゥス・マヌティウスが作った活版印刷本にたどり着くためには、本に対する価値観を変革する必要があった。
紙の本から電子書籍へ進むためには、やはり価値観の変革が必要不可欠。
他者に先んじて価値観を変革できた人間が、21世紀の本を生み出せる。
果たしてそれは誰なのか、21世紀の本とはどのようなものなのか、まだ誰にもわからない。
21世紀の本・出版に進むためには、紙の本から何かの価値を捨て、新技術によってもたらされる新しい価値を付加する必要がある。
変革を起こすための2つの流れが考えられる。1つは、Webに機能を追加する方向。テッド・ネルソンが構想したハイパーメディアに存在した著作権管理の仕組みとそれに連動した印税支払いシステムを何らかの形でWebに付加する。もう1つは現在の電子書籍(Kindle・EPUB)を進化・発展させる方向。紙の本の模倣をやめ、電子化・ネットワーク化による利便性を付加する。
あるいはこの2つの流れが合流して新しい本が生まれるかもしれない。

■Alan C. Kayの言葉
ようするに、未来を予測する暇があるなら新しい何かを作れということ。
30年間出版の世界で生きてきて、1年半前、突然出版社であるKADOKAWAをやめてIT企業であるドワンゴに転職した。IT企業で編集者がなにをするのか? おおいに戸惑ったし、今も違和感を覚えている。
現在は、エンジニア・プログラマに囲まれながら粛々と紙の本を作っている。
しかし、このまま終わったのではドワンゴに転職した意味が無い。編集者の自分だけでは無理でも、ドワンゴのエンジニアの力を借りれば、新しい本の形を作れるかもしれない。
いつどんなものを出せるのかわからないけれども、編集者としてのキャリアの最後の仕事として、なにか新しいものを作りたいと思っている。

■参考文献

2016年4月4日月曜日

仮面ライダー1号

映画「仮面ライダー1号」を観てきた。なんといっても、藤岡弘が本郷猛を演じるというのだから観ないわけにはいかない。
ストーリーとか、いろいろ意見のある人がいるのもわかるけど、

  • 本郷猛が臭い説教をして
  • 変身して
  • ライダーパンチして
  • ライダーキックして
  • ノーヘルでサイクロンを乗り回して
  • レッツゴー!!ライダーキックがかかったから
すべてよし!
というわけで堪能しました。特に、レッツゴー!!ライダーキックがかかるとは思ってもいなかったので、イントロが流れ始めたときには叫びそうになった。
やっぱり仮面ライダーは最初のシリーズがダントツでいいと思う。
で、今日、最近加入したamazonプライムを見ていたら、見放題のビデオに仮面ライダー1シーズンがあるじゃないか!
まずい。いろいろやらなきゃいけないことが山積みなのに、観てしまいそうだ(笑)。
そういえば、ゴーストとかいうのも出ていたけど、あれはじゃまなだけだったなぁ。ゴーストなんか出さなければ、もっとおもしろくなったと思うのだが、どうなんだろう。年寄りの偏見?

2015年11月3日火曜日

Star Wars英和辞典は読める辞書

先日書店で棚のチェックをした際に、ちょっと気になってスター・ウォーズ英和辞典 ジェダイ入門者編スター・ウォーズ英和辞典 ジェダイ・ナイト編 を買ってきた。
どちらもStar Warsに出てくるセリフを例文にした英和辞典だ。ジェダイ入門者編が中学英語、ジェダイ・ナイト編が高校英語になっている。英和辞典なので、当然のことながら英単語がアルファベット順に並んでいて、意味の解説があり、例文が紹介されている。しかし、単語の意味の解説は最小限で、例文については、それがStar Warsのどのエピソードの誰のセリフか、また必要に応じてどんなシチュエーションで発言されたものかが解説されている。辞典というよりは例文集というべき本。
たとえば、areの解説には、下記のように「Are you all right? LUKE V だいじょうぶかい?(湖の怪物に吐き出されたR2を気づかって)」のようにイラスト入りで記されている。

まぁ、Are you all right?なんて英文はどうでもいいつまらないものだし、通常の辞書なら気にもならないが、逆さになったR2-D2と駆け寄るルークのイラストを見て、映画のシーンを思い出すと、このつまらない英文がちゃんと生きたセリフとして聞こえてくる。これはいい!
さらにこの辞典には、CLASSIC PHRASE、FORCE PHRASEとして、映画の名言をそのシーンの写真といっしょに紹介してくれている。これがまたいい。

デス・スターに遭遇したときのルークのセリフ!

もちろん、この名言も!

読み始めると次々に映画のシーンが目に浮かんできて、楽しくてついつい読み進めてしまう。普通の辞典や例文集はだいたいつまらなくて、すぐに読むのがいやになってしまうのだが、この本は違う。Star Warsファンなら楽しみながら全部読めるはずだ。日本語で覚えていたセリフが、英語でなんと言っていたかわかるだけでもすごくおもしろい。C-3POがR2-D2によく言っている「おまえのせいだ!」というセリフが"This is all your fault!"だということも初めて知った。まぁ、こんな英文は覚えても使うことはないだろうけど。w
この辞典、本当は受験を控えた息子の勉強用に買ってきたのだけど(父の影響で大のStar Warsファン)、父親の私が読むのに夢中なので当分息子はお預けだ。w